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第131師団 (日本軍)

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第131師団
創設 1945年(昭和20年)2月1日
廃止 1945年昭和20年)
所属政体 大日本帝国
所属組織 大日本帝国陸軍
部隊編制単位 師団
兵種/任務 歩兵
所在地 広東省-安徽省
編成地 広東省
通称号/略称 秋水
補充担任 金沢師管金沢師管区
最終上級単位 支那派遣軍
最終位置 安徽省 安慶
戦歴 太平洋戦争
(大陸打通作戦)
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第131師団(だいひゃくさんじゅういちしだん)は、大日本帝国陸軍師団の一つ。

沿革

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太平洋戦争末期、武漢地区の警備と治安維持を目的として1945年(昭和20年)2月1日軍令陸甲下令により、第131師団・第132師団第133師団の3個師団の編成が発令された。これら3個師団は、武漢方面に在った部隊から兵力を抽出して設けられた師団である。

師団の編制は、4個独立歩兵大隊から成る歩兵旅団を2個持ち、砲兵を欠いた丙師団である。しかし、これら3個師団には、7月10日付けで師団砲兵隊が設けられた。

第131師団は、広東省で粤漢作戦粤漢鉄道を占領した第40師団第27師団などの残留部隊や本隊追及隊などを基幹に編成された。編成後、第23軍の指揮下に入り粤漢鉄道沿線の警備に従事する。その後、同年6月17日には支那派遣軍直轄部隊となり、警備地を独立歩兵第8旅団に譲って上海方面に向けて移動中安慶で終戦を迎える。

師団概要

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歴代師団長

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参謀長

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  • 宮永義文 大佐:1945年(昭和20年)2月26日[2] - 終戦[3]

最終所属部隊

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  • 歩兵第95旅団:岩本高次少将
    • 独立歩兵第591大隊:北原岩男少佐
    • 独立歩兵第592大隊:財津子之吉少佐
    • 独立歩兵第593大隊:中井憲一少佐
    • 独立歩兵第594大隊:田中真次郎少佐
  • 歩兵第96旅団:海福三千雄少将
    • 独立歩兵第595大隊:北村発卯麿中尉
    • 独立歩兵第596大隊:井上良雄中尉
    • 独立歩兵第597大隊:糸原佐吉中尉
    • 独立歩兵第598大隊:黒須政之助少佐
  • 第131師団砲兵
  • 第131師団工兵隊:田岡正二大尉
  • 第131師団輜重
  • 第131師団通信隊:手塚郁夫大尉
  • 第131師団兵器勤務隊:小堀溪大尉
  • 第131師団野戦病院:郷田静夫軍医大尉
  • 第131師団病馬廠:佐々木恂次郎獣医大尉

脚注

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  1. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』279頁。
  2. ^ 第44号 昭和20年3月1日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120934800 
  3. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』413頁。

参考文献

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  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 別冊歴史読本 戦記シリーズNo.32 太平洋戦争師団戦史』、新人物往来社、1996年。

関連項目

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